石尊山
観音寺

学校支援の朝礼講話
言葉の刀 取り除こう
2015年3月5日
学校支援ボランティアの一つとして、沼田市の東小、升形小、利根東小などいくつかの小学校で行う朝礼講話がある。情操教育に少しでも役に立ちたいとの思いで、分かりやすい寸劇をやってみせた。内容は「一休さん」のとんち話で、それを少し脚色して僧侶の友人が一休さん役、私は意地悪な殿様役をやる。殿様が一休さんを城に招き、ごちそうするという話だ。
殿様は、わざと硬すぎるご飯や苦いみそ汁を出すのだが、どんなにまずいものを出しても一休さんがおいしそうに食べるので、それならこれも食べてみろと自分の刀を差し出す。そこで一休さんは一度ステージの袖にかくれて再び出てきて、やっとの思いで刀を食べたと言い、その証拠を見せるからと、次々に殿様の嫌がることを言葉でまくし立てた。すると、殿様はひどく心が傷つき、刀ではなく言葉による傷があることを知り、意地悪な言動を反省する。
最後に一休さんが殿様に言う。「人は口の中にある言葉という刀で相手を斬ってしまい、命を奪うこともあります。刀を取り除き、温かい言葉で相手を思いやれば、お互いの心が豊かになり幸せな気持ちになれるものなのです」。こうして寸劇を終える。
仏教に「十善戒((じゅうぜんかい)」という教えがある。生活する中で十の心がけを説いたものだが、その中に「不妄語(ふもうご)」(うそをつかず正直に話そう)、「不綺語(ふきご)」(無駄にうわさ話をしないでよく考えて話そう)、「不悪口(ふあっく)」(人さまの悪口を言わず、優しい言葉を使おう)、「不両舌(ふりょうぜつ)」(告げ口をしない、思いやりのある言葉を話そう)がある。十のうち四つが口に関わっているのだ。
一休宗純禅師が残した規則の中に「和合」の精神がある。人の悪口を言ったり争いをせず、みんなで相談しながら仲良く生きていくという意味だ。寸劇の後、「和合」という言葉とその意味を話し、口は思いやりの言葉を言うため、目は真実を見るため、耳は人の話を聞くため、手は人に優しい手を差し伸べるため、足は困っている人を助けに行くために使ってほしいと話す。
いじめが原因で学校に行けなくなってしまう人がいたり、命を落とすということさえ起きているが、その原因の一つは相手の気持ちを考えない言動だ。相手を思いやる気持ちで口・目・耳・手・足を使えば、いじめはなくなるのではないだろうか。それを切に願ってやまない。
数日後、学校長や担任、保護者から「子どもたちのトラブル解消に役立った」という話や手紙が届く。寸劇と講話から、ちゃんと「和合」の意味を理解し、いかに相手の気持ちを思いやる言動が大切か、しっかり心に留め、その通りに実践してくれているようだ。これからも互いに助け合い、尊重し合う学校生活を送ってくれることだろう。